自分の人生は自分で決める

頑張るをやめたら あっという間に人生が良くなりました

感情にフタをして生きてきたので、感情センサーのゲージがいつも0だった時の話

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今日は感情にフタして生きていた頃のお話。

 

 

私が小さかった時のお話は

ここでも何回かお話をさせてもらっています。

 

 

「喜んではいけない。」

「悲しんではいけない。」

「泣いてはいけない。」

「わがままを言ってはいけない。」

 

 

両親にとって都合の悪い感情を

感じることを制限される家庭に育った私は、

 

自分の感情や嗜好を

表現することが出来ない大人になりました。

 

また、何事も損得勘定で考える人でした。

 

 

以前、カウンセラーさんのところに

通っていたころ、

 

ヒーリングの1つとしてやったワークの中に

「自分年表を作る」というものがありました。

 

 

生まれた時からその時までを

未就学、小学校、中学校、高校、学生時代、就職後のように

いくつかのカテゴリに分けて、

 

その時に起こった印象的な出来事を使って、

自分の年表を作るというワークでした。

 

 

カウンセラーさんから、

課題として様式を渡されて、

 

これを次回のカウンセリングまでに

仕上げてくるというワークでした。

 

 

「何とかしたい。」と思って、

すがる思いでカウンセリングに通っていた私は、

このワークを必死のパッチでやりました。

 

様式に細かい字でびっしり年表を書きました。

 

 

そして迎えたカウンセリングの日。

 

 

出来上がった年表をカウンセラーさんに見せました。

 

 

これをしばらく見たカウンセラーさんは、

その後のカウンセリングの中で一言、

 

「さっきの年表に感情を表す言葉がなかったの。」

「これが今のあなたの心の状態です。」

「自分の感情を自分で感じないようにしているの。」

 

 

長い時間、

 

自分の感情を感じることを制限され、

自分の感情にフタをして、

自分の感情を一切無視してきた私は、

 

感情を感じない人になっていました。

 

 

感情センサーゲージがレッドゾーン、

真っ赤のエリア、0のところに針がある感じ。

 

もしかしたら、

客観的に見たら、

0を振り切っていたかもしれないです。

 

 

何も感じない。

「感じる」感覚がわからない。

 

 

生きている人であれば、

感情を感じないことは絶対にないので、

 

今から思えば、

 

自分では何かを感じているけれど、

 

自分の中で感情を感じても、

それを自分自身に伝えることや、

 

外側に表現する方法が、

わからなかったのだと思います。

 

 

これを、

客観的に指摘をされたこの時も

何の衝動も受けませんでした。

 

 

「そうなのですか~。」

 

くらいの感覚でした。

 

 

自分の感覚として捉えられていませんでした。

 

 

「でも、これってみんなもそうなのでしょう?」って

カウンセラーさんに聞き返したら、

 

「これはかなり偏ってますよ。」

「みなさん、嬉しい、楽しい、悲しい、悔しいっていろいろ書きます。」

 

 

(そうなのかな??)→私の心の声

 

 

「でも、感情って、子供の頃は表現してもよかったかもしれないけど、

大人になったら、平常心でいられる方が仕事にしても、人間関係にしても

得なのではないでしょうか?」

 

 

(感情を抑えて平常心で振る舞える大人って、カッコイイ!!)

(感情を抑えた人が、ビジネスも人間関係も掌握するはず!!)→私の心の声

 

「感情を感じなければ、人生は豊かになりませんよ。」

「いろいろな感情をとおして経験することが、人生を豊かにします。」

 

(経験はもう十分。私は平穏無事な人生を送りたいの!!)→私の心の声

 

 

「私は何事もない、平穏無事な人生が良いのです。」

「私の人生に浮き沈みや波は必要ないと思います。」

 

 

カウンセリング中はこんなやりとりが続きました。

 

 

そして、

この後1年くらい、

私は頑なに

 

「感情を抑えて平常心を保つことが最善。」

「何事もない平穏な人生が幸せ。」

 

という思いを持ち続けます。

 

 

当然のことながら、

私の人生は何も変わらず、と言うよりも

「何事もなく」からはかけ離れた人生になっていきます。

 

 

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

いつもあなたを応援しています。