今日は自分と他人の視点のお話。
今、あなたの目の前には何がありますか。
私は自分のデスクの前に座っているのですが、私の目の前には、パソコン、お湯の入ったマグカップ、手帳、目薬、付せんがあります。
次に同じ場所に同じように誰か他の人に座ってもらい、同じように「今、あなたの目の前には何がありますか。」と質問すると間違いなく全然違う答えが返ってきます。
私たちは、いつも自分は自分の目の前の事実をありのままに正確に見ていると思っています。そして事実は世界に1つしかないと思っています。
先日、こんなことがありました。
私は6歳の甥と3歳姪と庭にいました。庭にパンジーが咲いていたのでおいっことめいっ子に「パンジーが咲いているね。」と同時に声を掛けました。すると、おいっ子は「保育園にも同じなはが咲いているよ。」と教えてくれました。めいっ子は「ちっちゃくてかわいい。」と言いました。
同じ家庭の同じ両親に同じように育てられた子ども二人でも、同じものを見て違うことを考えます。二人の認識は違うのです。
私たちは生まれてからずっと「自分の視点」からだけ自分の目の前のことを見てきました。そして、周りの人たちも自分と同じように見ていると思っています。
「周りの人たちも同じように見ている」はあなたの思い込みでしかありません。家族や親友などどんなに近くにいて、どんなに近しい人であっても、ものの見方が違います。
あなたは、こういう経験、ありませんか?
友達と一緒にエレベータに乗っていて、友達がふと「さっき降りたメガネの男の人、かっこよかったよね。」
「??? メガネの人?男の人?かっこいい人?そもそも誰か降りたっけ?」
私たちは自分の目で目の前のことをすべて正しく見ていると思っています。ですが、実際あなたが見ている(と思い込んでいる)ものは、目の前にあるものの半分も見ていません。
上のエレベータでの例のように、友達は一緒にエレベータに乗っていた「メガネのかっこいい男の人」を見ていましたが、あなたは、エレベータの階数を見ていたかもしれませんし、エレベータの中の広告を見ていたかもしれません。
どこを見ていたにしろ、「メガネのかっこいい男の人」は見ていません。正確に言えば、あなたの視界には入っていたけど、あなたは認識していません。
私たちは自分でも気がつかないうちに、「自分が興味や関心を持ったもの」だけに焦点を当ててそれを見ています。焦点を当てて「見た」ものだけを「認識」しています。
「見て」いてもあなた自身が「認識」していなければ、あなたが見たものはあなたの中に情報として入ってきません。あなたの「認識」があなたのものの見方を決めています。そして、「認識」は、生まれてからこれまでの自分の経験によって、私たち自身の中に少しずつ、確実に造られていきます。
6歳のおいっ子と3歳のめいっ子はすでに「認識」が違い「見方」が違います。わずか6年、3年の人生でも経験していることが同じではないからです。
世界には自分とまったく同じ経験をしている人はいません。同じ経験をしていませんから、認識が違い、ものの見方が違います。
あなたのものの見方と相手の見方とは違います。あなたと相手は見えているものが違います。
このことがわかっているとあなたと周りの人との人間関係が変わってきます。
相手と自分の意見が合わなくても、「この人と私は見えているものが違うのだな」と思えば、意見が合わないこともあなたの中で納得がいきます。
違いがあることを前提とすれば「違いをうめるにはどうすれば良いか?」と発想しますから、話の仕方、説明の仕方、相手の話の聴き方が変わってきます。そして、お互いの理解が早まります。
人は、あなたも相手も、自分が見たいように世の中を見ています。そして、見ているものが違います。違いを意識してみるだけで、周りの反応が変わってきますよ。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。