今日は人生の時間の使い方のお話。
同僚に仕事のミスを指摘されてしまった、もっとちゃんとしないと。
親から洗面台の使い方がだらしないと注意されてしまった、もっと丁寧に使わないと。
お客様から注意から「スカート曲がっているわよ」と言われてしまった、もっと普段から身なりに注意しないと。
あなたは、日頃、他人から何気なく言われてしまった言葉に、ひどく落ち込んだり、いつまでも気に病んだりすることはありませんか。
以前の私は、ひどく落ち込んだり、気に病んだりすることが多かったです。
家族、パートナー、友だち、同僚、上司、仲間、今日初めてお会いしたお客様。
一緒にいて、何気なく言われた一言に、一喜一憂し、
特に、私自身が「今、この人に良くないことを指摘されてしまった。」と
感じた瞬間はひどく気分が落ち込み、
「自分はどんな人だと思われてしまったのだろう。」
「いつもはちゃんと出来ているのに」
「今日に限ってなのに」
「いつもはダメな私じゃないのに」と、
指摘されたことをいつまでもひきずり、
自分自身や何気ない一言を言った人に対して、言い訳や申し開き、言われたことに対するいらだちをいつまでも、いつまでも自分の中で繰り返していました。
自分が自分でいたらないと思っていることが自分の中にたくさんありましたし、
自分が自分でいたらないと思っていることを他人からズバリ指摘されることが嫌で堪りませんでしたし、
自分が自分でいたらないと思っていることを指摘されてしまう隙があった自分を責めまくっていました。
自分だけは正しい、自分だけは間違っていない、自分だけはちゃんとしている、自分だけは完璧だ。
「自分は他の人とは別格」、「他の人とは比較にならないくらい正しい」「私は完璧な存在」ということをいつも、いつも全力で証明したかったですし、いつも、いつも全力で証明することに自分の時間のほとんどを使っていました。
別格、完璧、正しさの裏側には「別格な自分でなければ愛されない」、「正しい自分でなければ愛されない」、「完璧な自分でなければ愛されない」という強迫観念がありました。
幼い頃から「ちゃんとしなさい」、「いつでもきちんと」、「間違ってはいけません」と言われ続けてきた私は、「ちゃんと、きちんと、完璧」であることに自分のすべてのエネルギーをつぎ込んでいました。
自分は「ちゃんと、きちんと、完璧」が当然だと思っていましたから、苦しいと思ったことは一度もありませんでしたし、むしろ普通だと感じていました。
苦しいとは思わないし、普通と思ってはいるけど、何となく人生が生きづらい、何となく人生が楽しくない、何となく誰の人生なのかわからない。
「ちゃんと、きちんと、完璧」は当然ではないらしい。
「ちゃんと、きちんと、完璧」はhave to(ねばならない)ではないらしい。
「ちゃんと、きちんと、完璧」じゃなくても、大丈夫らしいことに気がつきました。
あなたの人生の時間をあなたの正しさを証明するためにではなく、あなたの楽しみを追求するために使いませんか。
あなたが正しいか、正しくないかをジャッジする人は、あなたの外側には誰も居ません。
あなたが正しいか、正しくないかをジャッジする人は、あなただけです。
あなたが正しいか、正しくないかを気にしている人は、実はあなただけです。
あなたがあなたの中だけの基準で、あなた自身があなたをジャッジしているだけです。
周りの人たちは、あなたが正しくても、あなたが正しくなくても、あなたを愛しているし、あなたのことを認めています。
あなたが誰からも愛されていること、あなたが誰からも認められていることを受け入れていないのは、あなただけです。
あなたが愛されていることをあなた自身がもっと感じて、
あなたが認められていることをあなた自身がもっと受け取ってみませんか。
あなたの人生は、正しさを証明するためにあるのではありません。
あなたの人生は、たくさんの経験をして、たくさんの人と出会い、たくさんの人と愛し愛され、たくさんの思い出を作って、あなた自身の人生を謳歌するためにあるのです
あなた自身があなたに人生を楽しむことを許可してあげてください。
あなたの人生の喜びや楽しさをもっと感じてみてください。
次第に気持ちが楽になり、周りの人の笑顔が増え、あなたの笑顔がもっと輝き始めますよ。
あなたの笑顔は世界で一番素敵です。お世辞でも、社交辞令でも、媚びているわけでもありません。あなたの笑顔で、たくさんの人が癒されています。
あなたの屈託のない素敵な笑顔を世界中の人に魅せてあげてください!!
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。