自分の中の常識を疑ってみる
今日は自分の中の常識のお話。
自分の中の前提、自分の常識とか固定概念と呼ばれるものですね。
自分の常識、自分の固定概念、自分の習慣は、のほとんどはあなたまたはあなた育った環境だけのものです。一般常識とか言われるものもありますが、これはすべて、あなたの中だけのものであってほとんどのものは、実は他人とは違っています。
例えば、「目玉焼き」に何をかけて食べるか?
お醤油をかける人もいれば、ソースをかける人、マヨネーズ、ケチャップ、マスタード・・・。自分にとっては「ずっとこうしてきたことだし、当たり前」と思ってソースをかけると、「お前、目玉焼きにソースかけるの??!!」って隣でびっくりされたことありませんか?
自分の「ずっとこうしてきたこと、当たり前のこと」って、実は全然当たり前ではなかったりします。むしろ、少数派ってことだってあります。
私たちは生まれた時から家庭の中や学校、地域社会など、自分の周りの環境で見聞きしたことを疑いもせずに身につけていきます。特に、まだ、歩くことも話すことも出来ないくらい幼かった時は、家庭の中が自分の世界のすべてですから、幼い頃に家庭で見聞きしたことは影響が大きいです。
大人になってからも「自分の家庭は少数派なのかもしれない」と疑い、自分に身につけた常識や習慣を疑うことすら思いつきませんので、「自分が身につけたものを当然他人も身につけている」と思って生きています。
そして、ある日、目玉焼きを前にして目玉焼きに対して違う常識、違う習慣を身につけた人がいることに気がつくのです。
あなたが今、自分が常識だと思っていること、もっと言うと、自分が正しい、こうでなければならないと思っていることって本当に正しいのでしょうか。本当にそうれなければならないのでしょうか。
毎朝、起きて、会社に行かなければならない。
会社では辛い思いをしても仕事をしなくてはならない。
ランチは一人で好きなものを食べてはいけない。
残業をしてでも上司の期待に応えなくてはいけない。
あなたが常識だと思っていることをやっていない人はたくさんいます。
朝起きない人はたくさんいます。
会社で楽しく仕事している人はたくさんいます。
毎日ランチを一人で楽しく食べている人はたくさんいます。
自分が帰りたいなと思ったら、残業しないで帰る人はたくんさんいます。
あなたの常識をやらなくても大丈夫な人もたくさんいます。
あなたの常識と習慣は本当にあなたにとって必要なものなのでしょうか。
「そうはいって自分の常識しか知らないので・・・。」という声も聞こえてきそうです。
確かに、ずっとそれを自分が常識だと思って、正しいと思って、こうでなければならないと思ってきたことを突然、やらなくなることに不安を覚えます。自分の中の常識って自分の中の根底にあることですから、簡単には変えることはできません。
変えてしまったら、自分が自分でなくなってしまうような気さえするでしょう。
では、「自分の常識の外側で生きている人もいる」と気がつくだけではどうでしょう?これであれば、あなたが何かを変える必要はありません。ただ、あなたは「気がつけば」よいのです。
朝起きない、会社に行かない、仕事が楽しい、一人でも大丈夫、残業はしなくてもよい。
今はSNSなど、個人がどんどん発信している時代ですから、ちょっと探せばあなたの常識の外側にいる人を見つけることはできます。
見つけたら「へ~、こんな人いるんだ・・・。」だけで終わらせるのではなく、コメントをつけて見たり、メールを送ってみたりしてみてはどうでしょうか。
今までとは違う世界に触れることができます。
さらに、実物に会ってみると、もっと世界は変わります。あなたの常識の外に触れるのですから。
あなたが今、思っていることは、本当に常識でしょうか?
その考え方以外は、本当にないのでしょうか?
その常識、その習慣、その固定概念。一回疑ってみてはどうですか?
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。