今日は外側からの意見が辛いときのお話。
「あなたはもっと計画的に取り組むべきだ。」
「あなたのやり方もいいけど、こちらのやり方の方がもっと早くできるよ。」
「あなたの考え方では、いつか面倒なことになるから、考え方を変えるべき。」
私たちはたくさんの人に囲まれて生活をしています。周りの人たちの中にはいろいろな考えを持っている人がいて、さらにそれを表に表現する人としない人がいます。
あなたに対して表現する人の中には、良かれと思ってそれをあなたに対して言ってくれる人もいますし、その人の考え方が正しいと思って言ってくれる人もいます。
何かの物事を見たり聞いたりしたとき、私たちは自然にそれに対して考えが浮かんできます。正しい、間違っている、優れている、劣っている。好き、嫌い。
それぞれの人がそれぞれの考えや感じることは自然のことです。物事に対して反応することは人間としての当然のはたらきであり、生まれもって備わっている機能です。
何が起こっても無反応では、味気ないしおもしろくありません。世界中の人が同じ反応をするのもつまらない。
世界中にたくさんの人がいるのは、それぞれの違いを楽しむためであって、違ってよいのです。
「違いがあること」に対するとらえ方も人それぞれです。
「私はこう考えるけど、あの人はこう考えるのだな。」
「私はこう考えるけど、あの人はあんな風に考えている。あれは間違いだ。」
「あの人の考えかたは間違っている、正しく変えてあげないと。」
自分と相手の間の違いを受け入れる人もいれば、違いを受け入れず自分と同じであることが当然だと考える人もいます。
違いを受け入れず自分と同じであることが当然と考える人が、あなたに対して
「あなたはもっと計画的に取り組むべきだ。」
「あなたのやり方もいいけど、こちらのやり方の方がもっと早くできるよ。」
「あなたの考え方では、いつか面倒なことになるから、考え方を変えるべき。」
と、その人の考え方を表現してきます。
そして、ときにはその考え方の表現があなたにとって厳しいことであったり、受け入れることが辛いことであったりすることがあります。
私の周りにも、「自分と同じであることが当然だ。」と考えている人がたくさんいます。同じであることが当然と思っている人たちは、私に対して、「こうあるべき」、「こうしなければならない。」、「こうすればもっと良くなるはず。」と表現をしてくれます。
外側からの意見や表現に対して、今までは私自身は過敏に反応しやすく、意見や表現を全部そのまま受け取っていました。受け取ったあとは、ひどく落ち込んだり、悲しんだり、怒りを感じたり、疎外感を感じたりして辛い思いをすることがありました。今でもときどきは辛い思いすることもあります。
「まだ、できていないの?」と言われれば、自分を無能だと思い落ち込み、
「あなたのことなんか誰も助けない。」と言われれば、自分は孤独な人だと疎外感を感じ、
「良くできたね。」と言われれば、自分は評価されてばかりだと悲しんだりしていました。
誰かがあなたに何かを表現してきても、それを全部あなたの中に受け入れる必要はありません。誰かががあなたに何かを表現することは、その人だけのことであって、それが世界のすべてではありません。
世界中にある考え方の一つでしかありませんし、意見の一つでしかありません。すべてではなく、すべてのほんの一部です。
あなたが誰かからその人の考えを表現されたときは、まず「この人の考えは私とは違うのだな。」と思うだけにしてみてください。このとき違いの中身を深く考える必要はありません。
どこが違うのか、どのように違うのか、なぜ違うのかを考えてしまうと、次々と連鎖的に考え続けてしまいます。考え続けることにより、自分を否定された気持ちや自分が悪いことをしている気持ちが強くなってしまいます。
表面上だけ受け取る。この人と私は違う。違うけどその違いは世界のすべてではありません。違うと表現されても、それが真実であるとは限りませんし、そのとおりになるとも限りません。ただ、あなたとその人の間に違いがあるという事実だけです。
あなたが違いを認めたうえで、あなたの中に取り入れた方がよいと思えば、取り入れればよいですし、取り入れる必要なないなと思えばあなたの中に取り入れる必要はありません。誰かの考えを取り入れるときも、そのすべてを取り入れる必要はなく、一部だけを取り入れることもできます。すべてあなたが自由に選択することができます。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。