今日は認めることと意識を向けることのお話。
私たちの周りには、
いろいろな人がいて、
両親や兄弟、パートナーなど、
近しい人であっても、
必ずしも、
意見や考えが一致する時
ばかりではありません。
「何度私が頼んでもパートナーが脱いだ靴下を洗濯機に入れてくれない。」
「上司に私の仕事の進め方で注意を受けた。」
「親が私の時間の使い方について、干渉してくる。」
私たちは、
有り難いことに
毎日、たくさんの人に囲まれて
生活をしています。
家族に始まって、
上司や後輩、
友達、同僚、
毎日顔を合わせる
コンビニの店員さん。
当然、
その中には、
わかり合える人、
わかり合えない人がいます。
同じ人であっても、
さっきは仲良く話しをしたけれど、
今はわかり合えない。
こういうことだってあります。
わかり合える、
わかり合えない。
これって、
「自分の中の常識や価値観、
正しいと思っている基準から
どのくらいずれているか。」の
ズレ具合だと思います。
他者からの意見や、
他者の行動を見て、
自分の常識や価値観、基準から、
ズレが小さければ、
その他者と「合う」し、
ズレが大きければ、
その他者とは「合わない」のです。
そして、この
「合う」
「合わない」に
私たちは毎日、一喜一憂します。
意見が合った、
認められたと言っては、
喜ぶ。
意見が合わなかった、
認められなかったと言っては、
悲しむ。
自分に近しい人であればあるほど、
嬉しい、喜ぶ。
寂しい、悲しむ、腹が立つ。
そして、
私たち人間は、
この合う、合わないに、
ただ単に
「意見の相違」という
外側の出来事だけではなくて、
「感情の起伏」という、
内側の変化が伴うので、
快楽や苦痛を感じます。
人間は、
快楽や苦痛など、
感情を伴う出来事には、
とても大きな
衝動を感じ、
自分から見て都合が良いことでも、
自分から見て都合が悪いことでも、
深く、深く記憶し、
いつまでも覚えています。
その出来事が終わって、
その感情がなくなった後も、
いつまでも、
いつまでも、
その出来事とその感情に
意識を当て続けてしまいます。
そして、
人間は、
自分が意識を当て続けるものを
無意識に
現実化しようとします。
自分が
望むと望まざると関係なく
現実化しようとします。
また、
無意識は、
現実化しようとする
時間や、
場所、
人を区別しないので、
選びません。
こう考えてくると、
私たちは、
他者と「合わなかった」ことに
いつまでも
自分の意識を当て続けてしまうこととなり、
自分は望まないのに、
時を変え、
場所を変え、
人を変えて、
いつまでも
その現実が、
自分の目の前に
繰り返されることになります。
いつまでも、
望まない感情を伴う現実が
自分の目の前に繰り返されます。
他人の機嫌や考えることは、
時と共にどんどん移ろいますし、
自分の機嫌や考えることも、
時と共にどんどん移ろいます。
変化しないモノはなくて、
変わっていくものばかりです。
もしかしたら、
あの時に起こった
あの人との
「合う」、「合わない」も、
移ろい、変わっているかもしれません。
移ろい、変わってしまっているかもしれないものに
ずっと、囚われて、
その時の感情を持ち続ける。
無意識にその時の出来事に
意識を当て続ける。
そして、
同じような出来事が
繰り返される。
私たちは、
このような繰り返しに
心を痛め続けることがあります。
出来れば、
このような繰り返しは、
避けたい。
では、
どうすれば避けることができるか。
意識を向け続けることを
止めてみるといいと思います。
意識を向けることが、
現実化するので、
意識を向けるのを止めれば、
現実化も止まります。
では、
意識を向けるのを止めるには
どうすればよいのか。
出来事を
ニュートラルに見るようにすれば、
意識を向けなくなります。
私たちは、
気になるものに
意識を向けてしまいます。
合うと嬉しい、
合わないと腹立たしい。
自分の力を掛けて、
相手を変えて、
合うことを続けたい、
合わないことを止めたい。
相手の行動を
自分の思いどおりにしたいと思うから
意識を向ける。
その気持ちは私もよくわかります。
私だってそうですから。
合っている人とは、
ずっと合っていたい。
ずっと仲良くしていたい。
合わない人は、
何とかして合うようになりたい。
何とか仲良くなりたい。
誰かと、
気持ちが合った瞬間、
仲良しになる瞬間を
感じることは、
人生を豊かにしてくれますし、
生きている実感が
心から湧いてくる
瞬間だと思います。
ずっと、
この瞬間が続けば良いと
思ってしまいます。
ずっと、
自分の思いどおりにしたいけど、
出来事をコントロールしたいけど、
それを止めて、
ニュートラルに見る。
その出来事に
善悪、良否、陰陽、優劣、軽重、
判断を加えず、
その出来事だけを見る。
その出来事を
その現実を
そのまま受け入れる。
ニュートラルに
見られるようになれば、
そこに自分の思いは
入り込まなくなるので、
自分の思いどおりにしたい、
出来事をコントロールしたい気持ちがなくなります。
コントロールしたいという
欲求を感じなくなると、
意識が向くこともなくなります。
意識が向かなければ、
望まない感情をもたらす、
現実はあなたの前には現れません。
あなたの人生は長いです。
これからいろいろな
経験をするでしょう。
その中には、
何度だって、
他者とわかり合える瞬間はあります。
過去の1回の
わかり合えた経験に
しがみつかなくてもよいのです。
その経験は、
これから何度でも出来ます。
嬉しいこと、
腹立たしいこと。
ちょうどその真ん中に、
穏やかさがあるのです。
人生の豊かさがあるのです。
コントロールを手放して、
意識を向けることを止めて、
真ん中に居てみましょう。
今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。