誰かに誉められたい。
誰かにスゴいと思われたい。
誰かに優秀だと思われたい。
誰かに敵わないと思われたい。
誰かに、思われた、思われたい、思われたい・・・。
私は、かなり、強い承認欲求を持っていました。、
焼け付くような、
欠乏感、焦燥感、渇望感が、
後から、後から、
夏の空に大きな入道雲が
沸き起こってくるように
自分の中から湧いていました。
強く、強く、強く、
ずっと、ずっと、ずっと求めていました。
・・・こういう自分って、
今から考えると
私って本――――――当っに健気でした。
幼い頃からの欲求をずっと
大事にギュッと強く握りしめ、
いつか、「認めてくれる人が現れるのではないか?」と
キョロキョロしながら
辛抱強く、一所に立ち続けて、
ひたすらにじっと待ち続けていました。
でも、
「誰か」って誰だろう?
「いつか」っていつだろう?
誰かって、自分、じゃないのかな?
いつかって、今、じゃないのかな?
自分が欲しいと思ってきた承認は、
ずっと、自分の外側にあると思ってきました。
けど、本当は、たった今、自分の内側に既にあったのです。
しかも、驚くべきことにかなり前から既にあったのです。
ただ、自分が、それを見ないように、
気がつかないようにしてきただけ。
たった今、自分が自分を認めてあげればいいのです。
良い自分も、だめな自分も、
みっともない自分も、だらしない自分も、
わがままな自分も、傲慢な自分も、
意地悪な自分も、腹黒い自分も
ぜーーーんぶ、たった今、自分で認めればいいのです。
認めることって書くと
何だかとっても難しい様に感じるかもしれませんが、
実は全然、難しくないのです。
スキルもテクニックいりません。
ただただ、自分の中にそれがあることを見ればいい。
見たい自分は、笑顔で、よく見てあげればいいし、
見たくない自分は・・・目の端の方でチラッと見てあげればいい。
チラッとでも見るだけでも
それであなたの中の承認欲求は満足しますから。
でも、それって当たり前すぎてつまらないし、
ずっと待ち続けていた自分に失望しちゃうし、
そもそも、そういうことって、もっと劇的なのがいい!!
いやいや、
既に自分の内側にあるって、
それに気づいた時は
十分当たり前ではないし、
十分感動的だし、安心感があるし
十分劇的だし。
だって、「どこか探しに行って、何か手に入れる必要がない!」のですから。
例えば、自分がずっと読みたいと思っていたけど、
品切れ続きでどこの本屋さんに行っても手に入らなかった小説が、
実は自分の部屋の本棚に既にあって、
さらに、実は自分にはこのように素晴らしい小説を書くことができる
能力があることに気がついたようなもの。
もう、
探しに行ったり、
高いお金を払って手に入れたり、
新刊が出るのをじっと持つ必要はない。
欲しいと思った瞬間にあっさりと手に入ります。
これって、スゴい安心感があるし、
自分の人生に自信が持てるようになる。
「誰」や「いつか」を待つ必要はない。
ギュッと強く握った手を少し緩めて、
たった今から少しずつ自分を認めてあげましょう。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。