完璧主義はあなたのエゴ 満足しているのはあなただけです
今日は完璧主義のお話。
以前の私は完璧主義の見本のような人でした。
言われたことはちゃんとやる。
言われてないこともちゃんとやる。
頼まれたことはかなりのクオリティまで持って行く。
まだ頼まれていないこともそこそこのクオリティまで持って行っておく。
こうでないと気が済まなかったし、自分の存在意義がないと思っていました。
そして、周りも私が完璧でないと存在することを許してくれない厳しい状況だと思っていました。
完璧であるように気を配っていましたし、完璧でないことを指摘されないように、いつも緊張し、周りを見張っていました。
私は何かをするから存在していて良い。
私はみんなが出来ないこともできるから存在していて良い。
自分が存在する許可が欲しくてたまらなかったし、
そうすることでしか、許可されていることを感じられませんでした。
でも、本当は、私に許可なんて与えていなかったし、
許可がなくてもみんなそこに居て良い。
今から冷静に振り返ればわかりますが、当時の私には全然わかりませんでした。
そして、その完璧主義がどれだけの人を傷つけ、不快にし、無気力にさせていたかも全然知りませんでした。
誰かがせっかく私に手を差し伸べてくれても、
「私、自分でできますから、放って置いてください。」
「私、ちゃんとできるようになるし、あなたよりもちゃんとしているし。」
「あなたなんかよりも、全然ちゃんとできますよ。」
その手に応えないどころか、ピシっと思いっきり突っぱねていました。
今思うと残酷なことをしていました。
完璧主義は周りのみんなのため、役に立っている、頑張っていると思っていましたが、本当はそんなことは全然なくて、みんなに寂しい思いをさせていました。
私たちはその状況に役に立たなくてもそこに居て良いし、それを誰も否定しません。たった一人否定していた人がいるとすると、それは自分です。
その場の空気を察して、先回りして全ての準備を整えておく。
物事がスムーズに進むことにだけ快感を感じる。
役に立てている自分、思いどおりに進んでいる物事、周りもそれに満足している。
完全に私のエゴだけの世界でした。
満足しているのは私だけでした。みんな、もっと、その状況を楽しんだり、そこから学んだり、成長したかったのに、そのチャンスを私が全て奪っていました。
みんなのために良かれと思っていたことが、本当は全然良くなかった。
これに気づいたときは、驚きというよりも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
けど、そこで、申し訳ない気持ちからその場から立ち去っても、それもまた私のエゴ。そのことに気づいた私は、顔を覆いたかったけど、隠れず、逃げず、そこに居続けました。
私の失敗を周りの人達は受入れ、新しい状況も受入れ、今までのように状況はあり続けました。
世界って私が思っているほど、完璧を求めていないし、完璧でなくてもそこに居て良いのだと気づけた瞬間でした。
その時から私は少し自由になれました。最初は居心地が悪くて、いつもの習慣で身体が勝手に動きそうになったけど、慣れるのも早く、その場が完璧でなくても苦しい思いをしない自分が居ました。
周りの人は自分の優位性を示すためにいるのではない。
みんなが完璧な状況を望んでいるのではない。
自分の周りには厳しい状況はない。
周りの人と一緒に成長していく。
完璧主義者は、周りは厳しい状況だと思っていますが、あなたの思い込みでしかありません。厳しいと思っているあなたは、もう一度、自分をよく見てください。
その厳しさは本物でしょうか。厳しさを感じているのは誰でしょうか。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いつもあなたを応援しています。
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