自分の人生は自分で決める

頑張るをやめたら あっという間に人生が良くなりました

もっと自由に女性であることを楽しんでみませんか

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今日は男性性と女性性のお話。

 

最近、

男性性、女性性という言葉をよく聞きます。

 

男女共同参画社会

 

とか、

 

女性の社会参加

女性管理職の積極的活用

 

とか、

 

どちらかと

女性の社会参加を

歓迎る雰囲気があります。

 

ダイバーシティとか、

セクシャルマイノリティとか、

 

生物学的な

性に捉われず、

 

個人の能力や個性活かし、

ヒトの多様性を尊重しようという風潮があります。

 

男性だから・・・・。

女性だから・・・・。

 

と、

もって生まれた性別ではなく、

 

先天的な性別に捉われない

考え方、在り方、行動、社会制度。

 

このような社会の流れは

歓迎されるべきですね。

 

人はそれぞれ、

特性や能力を持っていて、

 

それを性別という、

メガネを通して見るのではなく、

 

1人の個人として、

フラットに見て判断する。

 

これこそ、

人という貴重で無限の可能性を持った

リソースの最大活用方法だと思います。

 

一方で、

 

人は動物であり、生物であり、

そこには、

オスとメスという、

純然たる能力の違いも

確かに存在します。

 

男性の方が、

圧倒的に力が強いですし、

 

女性の方が、

細かいところまで目が行き届く。

 

他にも、

 

男性、女性、

それぞれに

得意なこと、

 

他方よりも優れていることは

たくさん存在し、

 

これは、

抗いようのない、

特性であり長所であり事実です。

 

しかし、

私たち人間は、

特に日本の人は、

 

男女平等、男女同権の名の下に、

とかく、この生物としての特性までも

無視した男女を超えた扱いを

好む場合があります。

 

「同じお給料だから」と言って、

男性も女性も同じワークスタイルを望まれる。

 

同じ家庭の一員なのだから、

仕事も家事も平等に分担。

 

確かに、

 

お給料は労働の対価として

支払われるものですから、

 

そこに不平等があってはいけません。

 

夫も妻も

同じ家庭を構成する一員ですから、

 

役割の質と量に不平等があってはいけません。

 

 

しかし、

職場や家庭において、

男女の間に

見える垣根はなくても、

 

見えない垣根があるように思います。

 

どんなに身体を鍛えても、

女性は男性のような、

骨格や筋肉を備えることは出来ませんし、

 

どんなに穏やかな性格を心がけても、

男性は女性のように妊娠、出産は出来ません。

 

そこには、

乗り越えようのない、

明らかな壁が存在します。

 

2012年頃から、

小さな小さな声ではありますが、

 

「男性性、女性性を大切にしよう。」と言う声が、

聞こえてきているよう思います。

 

 

問題の論理的思考や解決、

リーダーとして一貫性のある計画やビジョンを持つ、

責任を持って決断力とパワーで、

所属するグループに拡大や成功を与える。

 

このように男性性は、

どちらかと言えば、

社会性を感じる性質や役割が雰囲気として合います。

 

一方で、

 

調和や共感、美しさによって全てを優しく包み込む、

しなやかさや受容性、バランス感覚によって、

変化に自然に対応する。

 

このように女性性には、

どちらかと言うと、

生活性を感じる性質や役割が雰囲気として合います。

 

 

これも、

雰囲気や社会的な風潮、

文化的歴史的バイアスが

十分にかかった見方ではあります。

 

確かに、

 

女性らしいしっとりとした感性を持つ男性も

いらっしゃいますし、

 

男性のように身体を鍛え上げ競争から勝利を収める女性も

いらっしゃいます。

 

それでも、

 

現代の男性も、

単独で行動することを好み、

競争やある種の戦いの中から成功や発展を

望む人が多いと思いますし、

 

 

現代の女性も、

集団で行動することを好み、

協調や協力の中から安全や安定、平和を

望む人が多いと思います。

 

であれば、

この素晴らしい特性を

わざわざ無視して、

 

違うもの、別のものに

なりきろうとしなくても

よいのではないでしょうか。

 

30歳代後半から

40歳代前半の私たち女性は、

 

幼いころから、

社会的風潮の中で、

 

どちらかと言うと、

女性であることを

控える傾向があったように思います。

 

生まれたt期から、

子供の数は多めで、

競争や比較が多かったです。

 

「女性も手に職を持ち、自活出来る人に。」という、

暗黙の了解のようなものもあって、

 

「女の子でもしっかりと。」

「女の子でも社会性を。」と

言われてきたような気がします。

 

現に私も

国家資格を持って働いている女性の一人です。

 

私自身、

幼いころから漠然と

誰から言われるでもなく

 

「自分で生きていける術をもたないと。」と

思っていましたし、

 

結果的に資格を取得してそうなりました。

 

ですが、

やっぱり男性と女性は明らかに違います。

全くもって違う生き物です。

 

女性である私たちは、

 

身体の強さや体力の多さでは

圧倒的に男性には敵いません。

 

逆に、

 

華やかさやたおやかさでは、

男性に比べて圧倒的に優位です。

 

そして、

それは恥じるべきことではありません。

 

私の所属しているチームでは、

女性はわずか20%ですが、

 

居るのと居ないのでは、

雰囲気はまるで違います。

 

そして、

その違いは、

たとえ厳しいビジネスの場であっても、

不利に働いたり、マイナスに働くことは

ないように感じます。

 

ビジネスの場では、

厳しさや迫力が必要になる場面もありますが、

女性であるからと言って、

見劣りがすることは稀ですし、

 

間違っても

それを持って優位に立つ、立たせようとする

パワーバランスは現代にはありません。

 

逆に、

その場面が終われば、

 

切り替えが早いという

女性の特性を活かして

 

その場の雰囲気を

あっという間に変えてしまいます。

 

また、

家庭においても、

お母さんや奥さんは、

ひまわりや太陽に例えされるように

 

そのバランス感覚は

いかんなく発揮されます。

 

女性であることは、

劣性でも不利でもありません。

 

だから、

 

私たちは、

女性であることを

 

もっと自由に、

もっと軽やかに

 

楽しんでみませんか。

 

女性が、

 

自由に軽やかに楽しめる社会は、

 

強くてしなやかな社会だと思います。

 

そして、

 

一部の男性も

既にそのことに

気が付き始めています。

 

軽やかに、しなやかに。

 

私自身も、

今日からもっと

女性であることを

楽しんでみようと思います。

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

いつもあなたを応援しています。