自分の人生は自分で決める

頑張るをやめたら あっという間に人生が良くなりました

相手のなかにもともとあるものを信頼すると それは強い光をもって強烈に輝きだす

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今日は期待と信頼のお話。

 

 

期待すること。

信頼すること。

 

 

どちらも

「パートナーがお土産を買って来てくれることを期待する。」

 

「後輩の仕事ぶりを信頼して全てを任せる。」

 

など、

 

相手や自分自身、

人に対して使う言葉です。

 

 

私はこの2つの言葉の意味を

気に留めず、

何気なく使い分けていたと思います。

 

いえ、

正確には、

使い分けていません。

 

何となく使っていました。

 

2つの言葉を辞書で検索してみると、

 

「期待」・・・あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。

「―に添うよう努力する」「活躍を―している」「―薄」

 

「信頼」・・・信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。

「―できる人物」「両親の―にこたえる」「医学を―する」

 

どちらも、

 

まだ

起こっていないこと

その状態になっていないこと

 

に対して、

「そうなるといいな。」という、

気持ちを表す言葉です。

 

期待と信頼。

 

期待は、

「こちらが持っているもののように相手になってもらいたいというこちらの願望」

 

信頼は、

「相手が持っているもののように相手になってもらいたいというこちらの意図」

 

のように思います。

 

 

期待は、

こちらが持っている願望のようになることを

相手に対して要求します。

 

信頼は、

相手がもともと持っている何かになることを

相手がそうなるまで待ちます。

 

 

目の前の人に対して、

 

「それを私が望んでいるようにやって欲しい。」と

無意識のうちに望んでしまうことがあります。

 

相手の持っているものは無視して、

自分の要求を相手の中に入れようとする。

 

 

たとえば、

親が子供に親が望むような学校に入ることを期待したり、

親が子供に親が望むような人生を進むことを期待したり。

 

これって、

子供の持っているものは、一旦、脇に置かれてしまい、

親の持っているものを、子供の中に入れようとしている。

 

 

私は、

親になったことはないので、

これは想像ですが、

 

親は子供よりも長く生きている分、

社会のことをいろいろ知っていて、

 

それと見比べながら、

子供に親の持っているものを入れようとする。

 

これは、

純粋に親心であって、

「子供により良い人生を進んでもらいたい」

という、本心なのだと思います。

 

 

子供も、

子供なりにそれがわかるから、

親が持っているものを

受け入れることもあります。 

 

 

 

やっぱりそれは、

もともと子供が持っているものではない。

 

子供は

意識していようと、

無意識であろうと

 

違和感を感じます。

 

だって、自分が持っているものではないから。

 

 

子供の行く末を心配する気持ち。

子供により良い人生を歩んでもらいたい願望。

 

でも、

それよりも先に考えてもらいたいのは、

「その子があなたの子供であること。」

 

その子が生まれおちる前から、

ずっと、ずっと一緒にいたこと。

 

生まれてからも、

ずっと、ずっと見守り、育み、

たくさんの時間を一緒に過ごしてきたこと。

 

それほどまでに手を掛けてきたその子は、

間違いなく親の自信作だと思います。

 

 

だったら、

自分を信頼してみませんか。

子供を信頼してみませんか。

 

手を掛けてきたその子は、

絶対に素晴らしいものを

もともと持っているはず。

 

子供がそれを

表すことが必ず出来ることを

信頼して待ってみませんか。

 

 

もともとあるものは、

自然に表れますし、

 

それは、

それ自体が強い光を放って、

強烈に輝くと思います。

 

期待よりも信頼。

 

信頼された子供は、

それ以上の光を放ちます。

 

それを信じて、

楽しみに待ってみましょう。

 

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

いつもあなたを応援しています。